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「年の市」 平成28年12月25日(日)~平成29年1月3日(火)まで境内で恒例の「年の市」が開催されます。年内は正月迎え用品(注連縄、松飾りなど)、年初は縁起物、だるまなどが並び、参拝者で賑わいます。
「だんご市」 平成29年1月8日(日)~15日(日) 色とりどりの繭玉や縁起物で飾られた「だんご挿し」を買い求める参拝者で境内は賑わいます。春を告げる小正月の行事です。
喪中の期間は、さまざまな考え方や地域の風習によりますが、古来、神社へのお参り、お神札のお取り替え、正月迎えを控える期間は「忌(いみ)」と言い、以下の通りです。
ア 父母・夫・妻・子 50日
イ 祖父母・孫・兄弟姉妹 30日
ウ 曾祖父母・曾孫・甥・姪・伯叔父母 10日
エ その他の親族 3日
オ 配偶者の親族については、前項を1 項づつ繰り下げた日数による。
これらは自分からみての関係で、不幸があった日を1日と数えます。また、一つ家にお住まいのご家族の中で、一番長い期間の方に一家は合わせます。
最長で50日の「忌」の期間が明けますと、神さまごとは再開して差し支えありません。「忌」の後は、悲しみを乗り越えて平常な生活に戻るための「心のけじめ」をつける喪中の期間に移行します。この期間の長さについては個々人の心情に委ねられますが、長くても半年位を目安にするとよいでしょう。年賀状を遠慮することや、御祝いの席を遠慮することなどは個人の判断となります。
いずれにせよ、お正月は神さまのお神札をお取り替えして、新たな一年のご利益を頂く大事な行事ですので、神棚のお神札をお取り替えしないことは避けねばなりません。
ご不幸から50日以上過ぎた場合には、問題なくお取り替え頂き、初詣も差し支えありません。
50日がお正月にかかる場合には、小正月、旧正月の元旦、立春を目安に神棚のお神札をお取り替えして、お正月迎えをされると良いでしょう。
一年間神棚におまつりした「お神札」や、年内に神社でご祈祷を受けた際に頂いた「お神札」や「お守り」は、今年1年を無事に過ごせたことに感謝し、氏神さま(地元の神社)にお賽銭を添えて納めます。
福島稲荷神社では、年末の12月25日から31日までの一週間に限り、古神符納め所を設けますので、必ずこの期間内にお納め下さい。
納められた「お神札」「お守り」は大晦日(12月31日)の夜中に「お焚き上げ」を行い、清浄なご神火で鄭重に焼納致します。
なお、納められるものは、神社からお出しした「お神札」「お守り」「破魔矢」のほか、宮形など燃えるものに限ります。人形、せともの、金物、お寺の関係のものなどは納められません。
また、期間内に納めることが出来なかった場合は、翌年の年末に納めて頂きますので、自宅、会社で保管して下さい。
お子様の無事成長を祈願したお神札の納めについて、「初宮参り」のお神札は3歳の七五三を迎えた年の年末に納めます。また「七五三」のお神札は、男児は五歳、女児は七歳のご祈祷を受けた翌年の年末に納めるのがよろしいでしょう。
新年1月14日は「松納め」です。福島市内の松の内は昔から2週間とされ、家庭会社の松飾りは14日の朝にはずして神社に納めます。
新年の松飾りは防火上神社境内で焼納出来なくなり、また夜間の放置は火災の原因にもなるため、14日以前には絶対お納めにならぬよう、14日と15日の二日間に限り受け付けます。なお、松納めは松飾りを納める行事ですので、お神札は納めないように願います。
人の一生には、いくつかの節目があります。この節目ごとに神さまへの祈りと感謝を捧げ、人生への決意を新たにするのが伝統的な日本人の心といえます。その節目ごとの祈りと感謝を人生儀礼といいます。ここでは、ご質問のお子さんに関する儀式をご紹介致します。
安産祈願(あんざんきがん)
赤ちゃんの命が母親の胎内に宿ったときから、私たちは健やかな子が生まれますようにと神さまに祈ります。懐妊五ヶ月目の戌(いぬ)の日を選んで神社に詣で、懐妊の奉告と胎児の健全な発育、無事出産を祈願して安産祈願のご祈祷を受けます。
古来より戌の日に腹帯をつけると安産になると言われており、神社での安産祈願は戌の日以前、または戌の日当日にお受けになると良いでしょう。安産祈願に合わせて腹帯のお祓いを致しますが、腹帯は晒(さらし)叉は下着型等お使いになるものをご持参下さい。出産される方の代理でご祈祷をお受けになることも可能です。
命名(めいめい)
神さまに見守られ、家族の祝福を受けて赤ちゃんが誕生しますと、誕生七日目(生まれた日を一日目と数える)のお七夜に出生児の名前をつけます。命名は両親や目上の尊敬できる人が名付け親となって名付けることもありますが、神社にお願いして神さまから付けて頂き、子どもの末長い幸せを祈りたいものです。
福島稲荷神社では命名を承っております。その際に誕生日と性別が確定することが必要となりますので、誕生後に受付を致します。ご希望の名前の善し悪しを拝見するほか、全部で六つのお名前をお選びしてお渡し致しますので、その中からご家族で最終的にお選び頂きます。
命名初穂料は一万円以上お気持ちで受付時にお納め下さい。なお、命名には三日間お時間を頂きますので、届け出の期限(二週間以内)をお考えの上、速やかにお申し込み下さい。お申し込みは代理の方でも構いません。
初宮参り(はつみやまいり)
神さまのみたまをいただいて誕生した子供の今後の健やかな成長を祈って、生まれた日を1日目とし、男子は生後31日、女子は生後33日目以降に神社へお参りするのが初宮参りで、古来、子供の誕生を神さまに奉告し、末長い守護を祈る「氏子入り」の重要な行事とされてきました。
前記のお参りの目安は、ただ単に赤ちゃんがしっかりする頃という意味だけでなく、母親のお産の「ケガレ」が明ける意味もあり、これらより早く行うことは避けるべきでしょう。また寒い地域によっては五十日、百日目にお参りする習慣もあります。寒い季節に生まれた赤ちゃんの場合は、31日目、33日目にこだわらず、この日以降で赤ちゃんとお母さんの体調、天候などを考えてご家族そろってお参り出来る日を選ばれると良いでしょう。
祝着(掛け着)
赤ちゃんを抱く人が羽織るもので、父方の祖母が赤ちゃんを抱き、掛け着をかけるのがお宮参りの一般的なスタイルです。家族の都合で母方の祖母や母親自身が抱いてもかまいません。
喰初め(くいそめ)
生後百日以降に赤ちゃんに食事を食べさせるまねをさせ、一生幸福に育ち、食べる物に困らぬようにとの親の願いを込める行事です。
「歯固め石」(はがためいし)
歯固め石は、赤ちゃんに丈夫な歯が生えますようにとお喰初めのお膳に添え、小石を箸でつつき、その箸を赤ちゃんの歯茎につけます。歯固め石は、初宮参りを行った神社から頂き、お喰初めが終わった歯固め石は感謝の気持ちを込めて神社にお返しします。
七五三(しちごさん)
子供の成長の節目にあたり、神さまの御加護に対し感謝を捧げ、神社で無事成長を祈願する行事です。本来は11月15日とされていますが、11月の前半に行うのが宜しいでしょう。対象の年齢は、三歳の男女児、五歳の男児、七歳の女子です。これらは数え年で行うのが本義ですが、早生まれのお子さんの場合、ご兄弟で一緒に行いたい、などの場合には満年齢で行うことも構いません。
十三参り(じゅうさんまいり)
生まれた年の干支が、初めて巡ってくる年(男女児とも数え年の十三歳)に行われるのが十三参りです。大人への変換期に、厄を祓い、体力と知力を授けていただくお参りで、神社で厄除けとして行うものです。
ご祈祷の受け方
福島稲荷神社では毎日ご祈祷を行っておりますが、正月や七五三の特別祈祷日を除いて、予約で承っています。日によりご祈祷時刻が変わりますので、お電話でご希望日の祈祷時刻をお確かめの上、ご予約下さい。予約は前の月の15日からお受け致します。予約受付時間は9:00-17:00 電話024-522-2702
ご祈祷を受ける際の服装は、男性はスーツもしくはジャケットを着用して下さい。女性もこれに準じます。ジーパンやTシャツ、サンダルなどラフな服装はご遠慮下さい。
ご祈願料は「初穂料(はつほりょう)」といいます。個人のご祈願は五千円からお気持ちとなっております。当日は、のし袋(御祝い用)をご用意頂き、表書きは上に「初穂料」、下に「お名前」をお書きになり、受付でお納め下さい。
駐車場は、境内となっております。神社東側の路地(一方通行ではありません)をお入り頂き、社務所の前から境内に駐車して下さい。
お神札(おふだ)の納め方
一年間神棚におまつりした「お神札」や、年内に神社でご祈祷を受けた際に頂いた「お神札」や「お守り」は、今年一年を無事に過ごせたことに感謝し、お賽銭を添えて地元の神社にお納めします。福島稲荷神社では年末(12月25日~大晦日)に古神符納め所を設け、大晦日の夜中から元旦にかけてお焚き上げを致します。
初宮参りや七五三のご祈祷で頂いたお神札の納め方
お子様の無事成長を祈願したお神札の納めについて、「初宮参り」のお神札は三歳の七五三を迎えた年の年末に納めます。また「七五三」のお神札は、男児は五歳、女児は七歳のご祈祷を受けた翌年の年末に納めるのがよろしいでしょう。
参道の真ん中を避けて、端を歩くのが慣例です。多くの神社において参道の真ん中は「正中(せいちゅう)」と呼ばれ、神さまが通る場所とされていますので、真ん中を避けるのが宜しいでしょう。とはいえ、初詣など人が多いときは、あまりこだわる必要はありません。
鳥居とは、人間の領域と神様の領域の境界を示すものです。くぐって入るときは、軽く会釈すると良いと言われています。お参りの後、鳥居から出るときも会釈します。
左手、右手の順に洗い、口をすすいでもう一度左手を洗うのが正しい作法です。具体的には、まず右手で柄杓を取り水を汲みます。まずは左手を洗い、続いて柄杓を左手に持ち替えて右手を清めたら、再び右手に持ち替えて、左手を上に向け掌に水をため、口をすすぎます。使った左手をもう一度清めます。そして、最後に柄杓を真っ直ぐに立て、残った水で柄杓の柄を清め、伏せて戻します。これだけのことを柄杓一杯の水で行います。
最初にお参りするのは御本社からが正しく、次いで、「摂社・末社」と呼ばれるご本社の神さまとゆかりのある神社をお参りするのが正しい順序です。
お賽銭は、参拝する方のお気持ちなので金額に定めはありません。昔は願い事を叶えて頂くために「身削り」といって、自分の命の次に大切なもの(お米など)をお供えするという考え方が一般的でしたので、最近の「ご縁がありますように」と一年の御加護を得るのに5円で済ませてしまう風潮は好ましいことではありません。ご祈願の軽重によってお考え頂ければ良いと思います。皆さんをお守り頂く氏神さま(地元の神社)は、公的な助成などはなく、氏子の皆さんのお賽銭を始めとするご寄進で運営されています。神社がいつまでも清々しいお祈りの場所であるためにも、皆さんのご理解をお願い申し上げます。
神社のお参りの正しい作法は、「二礼二拍手一礼」。お賽銭箱の前に立つ。(帽子をとり、荷物を置く)軽く会釈をする。お賽銭をあげる。鈴を鳴らす。姿勢を正して(1)深く二回お辞儀をする。両手のひらで自分の膝頭を覆うくらいまで深く(約90度)頭を下げる。(2)両手を胸の高さで合わせ、右手の中指を左手の中指の第二関節あたりまで下げてから、両手を肩幅あたりまで平行に開き、ゆっくり二回拍手を打つ。二回目の拍手をしたら両手を合わせ祈願を込める。(3)最後に深く一礼する。軽く会釈をして下がる。
拍手とは神さまへの強い畏敬の念をあらわすものです。古代中国の貴人に対して拍手を打つ習慣が日本に伝わったと言われていますが、この習慣は中国には残っておらず、日本で神社の参拝の作法として残ったものです。お寺では、一般的に拍手は打ちません。
神社とは、神道の考え方に基づいて作られた神さまをお祀りするための施設です。仏閣とはお寺のことで、仏教の考えに基づいて作られた修行やお参りのための施設のことです。ほとんどの神社には鳥居と狛犬があり、建物は宮大工によるものなど日本古来の建築様式による木造が多く、神さまが宿るとされるご神体は、本殿という参拝者からは見えない場所におまつりされています。(皆さんがご祈願をお受けになる場所は本殿ではなく、拝殿)また、神社には自然の杜があるのが最大の特徴です。一方、寺は山門に瓦屋根の建物、さらには鐘や塔を備えているところが多く、ご本尊などと呼ばれる仏像が公開されている場合が多く見られます。
おみくじの運勢の吉凶の順序は神社やお寺によって諸説ありますが、「大吉→中吉→小吉→吉→末吉→凶→大凶」が一般的です。ただし吉凶はあくまで目安で、書かれている内容をよく読むことが重要です。
おみくじは、何を聞きたいか念じながらひくと良いとされていて、学業・恋愛など、聞きたいことが違う場合など、一度の参拝で何度引いてもかまわないとされています。
「悪い運勢は置いていきたい」、と凶・大凶など悪いときは結んで、大吉・吉などいいときは持ち帰るという人もいますが、特に決まりはありません。ただし、木に結ぶと木が弱るので神社所定の場所で結ぶようにして下さい。
御守りを複数持っても神さま同士がケンカすることはありません。神さまはそれぞれにお働きが異なり、ご利益もさまざまです。
中身は見ないほうがいいとされています。日本では昔から「神聖な物・場所には、触らない、入らない」という考え方が根強いので、神聖なものとされる御守りの中を見ることは慎むべきです。
賞味期限のようにはっきりとした期限があるわけではありませんが、新年をめどに新しくするとよいとされています。ちなみに、合格祈願・安産祈願などのお守りの期限は成就するまで、といわれています。
頂いた神社に出向いてお返しするのが本義ですが、難しい場合は最寄りの神社に納めることが出来ます。ただし、神社によって納める時期が決まっている場合があるので、予め問い合わせて確認するとよいでしょう。
ちなみに福島稲荷神社の場合は、12月25日から31日までの期間、境内に納め所を設置しますので、納めはこの期間にお願い致します。
私たちは、神さまを始め、いろいろな人々のお蔭を頂いて日々生活を送っています。しかし、時には思わぬ災やトラブルで精神的にも、肉体的にも衰えてしまうことが多々あります。古来、日本人は、思わぬ出来事の多い一生を平穏無事に送ることを願い、天地自然の中で生かされていることへの感謝という謙虚な気持ちから、家庭の中に日々神さまに感謝を捧げる「祈りの場」を設けてきました。これが家庭や会社における神棚です。
でも、今の住まいでは棚をつけることが出来ないし、毎朝のお供え、榊の取り替えも面倒、あれもこれもとても出来ないから神棚は作らないという家庭が増えています。こうした理由で「おふだ」を飾らないことは本末転倒です。現代は、それぞれのご家庭にあったやり方があって良いと思います。大事なことは、家に立派な神棚を設けなくても、家の中に「神さまの存在を感じる、祈りの場」を設けることです。家族がくつろぐリビングのサイドボードや本棚、食器棚の上に「おふだ」を飾ることがまず第一歩、神さまと毎日生活を共にしているという気持ちが家庭に心の安らぎをもたらすのです。
以上のうち、①と②は必ずお飾りして下さい。地元の神社で両方ともお求めになれます。
<年神さまセットの内容>
小 → 幅50㎝ 高さ46㎝ 奥行33㎝
中 → 幅56㎝ 高さ50㎝ 奥行36㎝
大 → 幅68㎝ 高さ58㎝ 奥行43㎝
なお、宮形の手前に米などのお供え物を置く都合上、棚の奥行きは宮形の奥行きプラス10㎝程度の余裕をみると良いでしょう。宮形は通常のご家庭では小(4万円程度)が一般的です。
一年間神棚におまつりした「お神札」や、年内に神社でご祈祷を受けた際に頂いた「お神札」や「お守り」は、今年1年を無事に過ごせたことに感謝し、氏神さま(地元の神社)にお賽銭を添えて納めます。
福島稲荷神社では、年末の12月25日から31日までの一週間に限り、古神符納め所を設けますので、必ずこの期間内にお納め下さい。
納められた「お神札」「お守り」は大晦日(12月31日)の夜中に「お焚き上げ」を行い、清浄なご神火で鄭重に焼納致します。
なお、納められるものは、神社からお出しした「お神札」「お守り」「破魔矢」のほか、宮形など燃えるものに限ります。人形、せともの、金物、お寺の関係のものなどは納められません。
また、期間内に納めることが出来なかった場合は、翌年の年末に納めて頂きますので、自宅、会社で保管して下さい。
初宮参りや七五三のご祈祷で頂いたお神札の納め方
お子様の無事成長を祈願したお神札の納めについて、「初宮参り」のお神札は3歳の七五三を迎えた年の年末に納めます。また「七五三」のお神札は、男児は五歳、女児は七歳のご祈祷を受けた翌年の年末に納めるのがよろしいでしょう。
新年1月14日は「松納め」です。福島市内の松の内は昔から2週間とされ、家庭会社の松飾りは14日の朝にはずして神社に納めます。
新年の松飾りは防火上神社境内で焼納出来なくなり、また夜間の放置は火災の原因にもなるため、14日以前には絶対お納めにならぬよう、14日と15日の二日間に限り受け付けます。なお、松納めは松飾りを納める行事ですので、お神札は納めないように願います。
1/1 | 01:00~02:00頃 08:30~17:00 ※受付は社殿、受付順に随時祈祷、予約必要無し |
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1/2 | 09:00~17:00 ※受付は社殿、受付順に随時祈祷、予約必要無し |
1/3 | 09:00~17:00 ※受付は社殿、受付順に随時祈祷、予約必要無し |
1/4 | 会社団体の予約祈祷の日 一般の祈祷は午後12:20~の一回のみ ※受付は社務所、12:00までに受付をお済ませ下さい、予約必要無し |
1/5 | 会社団体の予約祈祷の日 一般の祈祷は午後12:20~の一回のみ ※受付は社務所、12:00までに受付をお済ませ下さい、予約必要無し |
1/6 | 会社団体の予約祈祷の日 一般の祈祷は午後12:20~の一回のみ ※受付は社務所、12:00までに受付をお済ませ下さい、予約必要無し |
1/7 | 09:00~17:00 ※以降受付は社務所、30分毎に祈祷、予約必要無し |
1/8 | 09:00~17:00 ※30分毎に祈祷、予約必要無し |
1/9 | 09:00~17:00 ※30分毎に祈祷、予約必要無し |
1/10 | ※要予約。ご予約の上、祈祷開始時間の15分前までに受付をお済ませ下さい |
1/11 | ※要予約。ご予約の上、祈祷開始時間の15分前までに受付をお済ませ下さい |
1/12 | ※要予約。ご予約の上、祈祷開始時間の15分前までに受付をお済ませ下さい |
1/13 | ※要予約。ご予約の上、祈祷開始時間の15分前までに受付をお済ませ下さい |
1/14 | 09:00~17:00 ※30分毎に祈祷、予約必要無し |
1/15 | 09:00~17:00 ※30分毎に祈祷、予約必要無し |
1/16~ | ※要予約。ご予約の上、祈祷開始時間の15分前までに受付をお済ませ下さい |
※基本的に要予約となります。ご予約の上、祈祷開始時間の15分前までに受付をお済ませ下さい 電話 024-522-2702(受付 9:00~17:00) |
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福島市における競馬の歴史は古く、神社への奉納競馬に端を発し、100年を越える伝統があります。福島市は全国に名立たる馬の産地であったことから、馬の改良を促すために競べ馬が行なわれて来たのです。また絵馬のいわれからもうかがわれるように、神社と馬は深い関わりがあります。現在でも福島競馬開催前には、人馬の無事故と競馬開催中の安全を祈願して馬場浄めの神事が欠かさず行われています。
さて、福島市の総鎮守、陰陽師安倍晴明により創建された一千年を越える歴史を持つ福島稲荷神社には全国でも珍しい「競馬勝守り」があり、競馬ファンの必携として全国的にも大変人気があります。
この全国でも珍しい「競馬勝守り」が誕生したのは、平成9年、福島競馬場のスタンド、馬場の全面改装工事が行われ、装いを一新した時のことでした。福島市は伝統的に競馬が盛んでJRA日本中央競馬会直轄の競馬場があり、福島で仕事をする営業マンは、競馬を知らないと仕事にならないともいわれる土地柄です。しかし一方では競馬といえばギャンブル、賭け事といったイメージが根強くあることも事実です。しかし見違える変貌を遂げた施設を目の当たりにするにつけ、また昨今の女性の競馬ファン急増とも相まって、今や競馬をマイナスイメージだけでとらえる時代は終わったと感じたものです。福島にとってこの立派な福島競馬場は財産であり、このまちは競馬とともに共存してきたまちなのです。地域の人々に愛着と誇りを与えるこの競馬場に魂を吹き込むのはあとは神様のお力をお借りすることでした。競馬ファンなら一目で分かる名馬の誉れも高いトーカイテイオー、ナリタブライアン、ビワハヤヒデの三頭を選び、コンピューターグラフィックスを駆使してこれら歴代名馬の勇姿と最新のスタンドのデザインを西陣織で再現し、その御守りをカード型のケースに封入し、更に馬券を収納できる透明ポケットをつけたこの競馬勝守りは、細部にまでこだわりをもたせた御守りとして世に出たのです。競馬勝守りは、地域に根差した御守り、この土地ならではの御守りとして、口コミからじわじわと広がり、更にマスコミが取り上げるにいたって今や福島競馬のおみやげには欠かせぬものとなりました。その後、日本中央競馬会とのコラボレーションにより、馬単、三連複馬券の新規発売に合わせて2作目、更に三連単馬券の発売に合わせて3作目の競馬勝守りが世に出ました。(現在は5種類)
福島だけにしかないお守り、創作御守りが広く話題になることは、すなわち神様のご存在と御利益を人々に意識して頂くことであり、そのことにより、地元の人々には地域への誇りと愛着を深めてもらい、更には福島を訪れる多くの競馬ファンや観光客には、福島の歴史と良さを認識していただくこととなりました。この小さな御守りは福島の親善大使としての大きな働きを担っているのです。
福島市は果樹の里として全国に知られ、中でも桃はそのイメージリーダー的存在です。ミスピーチが首相官邸に桃を届けるなど、桃は本市観光物産振興の重要なキャラクターとして位置づけられてきました。地元ではありふれたこの桃に実は大変な御利益が隠されていたのです。古事記の黄泉国の段にその由来があります。見てはならない妻の変わり果てた姿を見てしまったイザナギノミコトが、黄泉醜女らに追われて命からがら黄泉国を脱出するときに、黄泉比良坂にゆさゆさと実をつけている一本の桃の木が目に入りました。イザナギノミコトはこの桃の実を3つ取り、追っ手めがけて投げつけたところ、ついに追っ手は退散してしまい九死に一生を得ました。イザナギノミコトはたいそう喜び、末長く世の人々の悩み苦しみを助けてくれるようにと桃の実に神の名を与えました、との神話です。桃といえば古来ひなまつりにも魔よけとして欠かせぬように、我が国では神話の昔から親しまれ珍重されてきた果物です。更には桃太郎伝説に見られるような子宝の御利益も伝えられています。こうした御利益に新たに現代的な御利益を二つ加えました。一つは果樹の豊作、もう一つはみずみずしい桃(ピーチ)にあやかって、女性がいつまでもピーチ、ピチと若さと美しさを保てるようにとの御利益です。
現在の社殿は明治神宮御社殿、宝物殿の設計などで名高い内務省大江博士の設計によるもので、当代一流の技術の粋を集め、昭和13年に竣功しました。拝殿・幣殿・本殿には上質の台湾桧を用い、総建坪58坪余、うっ蒼たる樹林に銅葺きの屋根が映える優美で澄明な社殿です。拝殿は五間に三間ですが、中央はゆったりと他の柱間の倍近くとり、ガラス戸にも古風な蔀の感覚を生かしています。拝殿の屋根は破風を配した美しい流れをみせ、神苑を限る玉垣透塀の連子格子も社殿の平明さと調和し、福島市民の心のやすらぎとして神域の中心をなしています。今回の屋根替えにあたり下地木材の取替え、良質・肉厚の銅板の使用、更には拝殿屋根谷部分には融雪用セラミック製ルーフヒーターを敷設するなど、現在考えうる最新の技術の粋を尽くし、外観上も純金製飾り金具と相まって重厚感あふれる屋根に生まれ変わりました。
社殿の改築(昭和13年竣功)にあたり、それまでの拝殿を絵馬殿として移築したものです。 かつては福島市指定文化財の元禄8年、福島藩主堀田正虎寄進絵馬「御能之図」をはじめ、多くの奉納絵馬が飾られ、参詣の人々は休息しながら眺めたといわれます。五間に二間の入母屋造で、正面の中央間は2,9メートル、他の柱間は2メートル、横は各2,45メートルの柱間です。この旧拝殿は元禄5年(1692年)、時の福島藩主堀田正仲が造営したものと思われ、現存する福島市の古建造物中、最古のものと言えます。
この社は栃木県鹿沼市の古峯神社の御分社で、通称「こぶがはらさま」と言われ、日本武尊をお祀りし、火伏せ・防火の神として、全国的に厚い信仰を集めています。もとは稻荷神社本殿裏手にまつられていましたが、昭和13年本殿改築の折、現在の場所に移されました。例祭は毎年2月旧初午の日となっていて、境内では火伏せ祈願の「湯立て神事」が行われます。毎月10日には、御祭神のお使いである天狗の長い鼻にちなみ、とろろいも(長芋)を供えてお参りする習わしがあります。
この石宮は昔稲荷神社本殿裏にあって猿田彦命をまつり、祭日を毎年旧11月1日としていました。昭和13年稲荷神社の改築によって現在の場所に移されました。足を患っている人や足の弱い人の祈りと共に、旅に出る者が道中安全を祈願して、わらじや草履を献納する人が後を絶たず、足の病気が全快したり、旅行を無事に済ませた人の感謝も込められているのであります。ここにはこの石で足をさすると足の病が治るという「おさすり石」があります。
聖徳太子は古代史上、最古の木造建築とされる法隆寺建立など、寺院建築に残した功績を称えられ、建築関係の職人からの崇敬厚く、地方にも「たいし講」となって伝承されています。昭和15年に福島市・信夫郡・伊達郡・安達郡の県北一市三郡の建築業関係者の結集によって計画され、聖徳太子を供養する法隆寺夢殿を模した八角形の社殿は、昭和37年6月21日完成しました。御神体として祀られる真鍮製の聖徳太子の尊像は、関係者により戦時下の供出を免れたものです。聖徳太子が神社として祀られる例は極めて希有なもので、全国的にも珍しい一社と言えるでしょう。
力石(ちからいし)は、江戸時代から明治時代にかけて日本全国の村や町で力試しに用いられ、若者たちが体を鍛えたり、集団で力を競い合ったり、神社の祭りの出し物として力試しが盛んに行われました。また石占(いしうら)といい、力石を用いて吉凶や願い、事の成就を占ったと言われ、この石に触れると諸願が成就する力を頂けると伝えられています。当神社に伝わる力石は、力石の研究者により平成13年(2001年)夏に所在が明らかとなり、境内の土中より掘り出されたもので、重量は約63㎏。
当社の南参道と西参道の二基の鳥居は、大正9年明治神宮御鎮座の際建立された由緒ある東・西外玉垣鳥居です。昭和40年、明治神宮の格別の計らいにより当社に交付され、福島市内崇敬者の協賛により翌昭和41年、全市を挙げての盛大な御木曳き行事も実施され、無事移築竣功をみました。鳥居扁額の文字は、当時の明治神宮甘露寺受長宮司にご揮毫を頂いたもので、現在この由緒ある鳥居は、明治神宮ご創建当時を偲ぶ貴重な存在になっています。平成28年に移築50年を記念して補修と化粧直しが行われました。
平成9年8月、神輿担ぎの復活を期して新たに二之宮神輿、三之宮神輿(子供神輿)が製作奉納されたことから、従来の本社神輿、聖徳太子神社神輿と合わせて四基の神輿の保管場所を確保すべく、神輿収納庫の建設が急務となり、福島秋まつり運営委員会と相議り、日本中央競馬会福島競馬場よりの浄財奉納も得て、平成16年9月に神輿収納庫は竣功をみました。
現在、西参道入口の社号標には「県社稲荷神社」と刻まれています。戦前神社が国家管理の時代に当社の社格は県社でありました。戦後、法改正により宗教法人福島稲荷神社として再出発しましたが、明治28年に建立された社号標はそのままの状態で現在に至っております。神社の顔、表札とも言うべき社号標の整備は氏子の予てよりの懸案でありましたが、御鎮座1015年の嘉年に当る平成14年、お建替えの気運が高まりを見せ、当神社崇敬団体である「み光会」が中心となり事業に着手しました。募金は予定を上回る好成績を収め、平成14年12月11日竣功奉告祭が斎行されました。
社号標規模 高さ→約7メートル、幅→棹石(約80㎝)台石3メートル 神社の社号標としては県内最大規模となります。なお旧社号標は、記念碑として末長く保存することとなりました。
当社の手水舎は、昭和13年に建立以来、80年近い歴史を有し、地方には珍しい豪壮な手水舎として親しまれてきましたが、平成23年に発生した東日本大震災を機に、井戸水を利用しての手水舎改修の気運が高まり、平成24年の御鎮座1025年と、大震災からの復興を祈念して、手水舎復興事業を実施し、平成25年正月に竣功をみました。
昭和13年10月、現在の社殿造営の際に、当時の福島三業組合(割烹組合、芸妓屋組合、待合組合)加盟の56の店(外山、皆楽亭、米澤屋、辰巳屋、大亀楼、萬松、冨久楽、鶴都、中常など)の名前が刻まれており、当時、福島の花柳界として賑わった北裡界隈を偲ぶことが出来ます。
世良修蔵は幕末の長州藩士、官軍の奥羽鎮撫総督府下参謀として会津藩討伐を強硬に主張したことから、会津の救済嘆願を反故にされた仙台藩士らの怒りを買い、慶應四年戊辰歳(1868年)閏4月20日の未明、福島城下(福島市北町)の旅籠金澤屋に宿泊中のところを仙台藩士、福島藩士らにより襲撃され、阿武隈川の河原で斬首されました。行年34歳。
世良は、奥羽諸藩(仙台藩・米沢藩)による会津藩救済嘆願にも聞く耳をもたず、あくまで武力討伐との強硬姿勢を貫いたことから、次第に仙台藩士らから会津への穏便な措置を阻害する元凶と見なされるようになりました。世良暗殺を決定的ならしめた史実は、福島城下の旅籠金澤屋に滞在していた世良より、当時新庄にいた下参謀・大山格之助宛てに閏4月19日に記した密書を、送達の依頼を受けた福島藩士を通じて入手した仙台藩士が激高し、世良の暗殺実行を決意させたと言われています。その密書には「奥羽を皆敵と見て、武力をもって一挙に討伐する」旨が記されていました。
世良の死をきっかけとして、新政府軍と奥羽越列藩同盟軍との戦が始まる事となったのです。この官修墳墓は、戊辰戦争の後、福島入りした官軍により慰霊碑として建立されました。石碑には世良修蔵のほか、この事件で落命した同じ長州藩士勝見善太郎、松野儀助、従者繁蔵の四柱の名が刻まれています。明治9年(1876年)6月の明治天皇東北御巡幸の際には、随行として福島を訪れた明治政府の参議・木戸孝允が世良を偲んだ事が日記に記されています。
建立された場所は、当時は神社の裏側(北側)の国有地にあり、隣接する福島稲荷神社が管理を委任されていました。大正5年に石碑が建て替えられ、戦後、神社の境内地に編入され、境内の北東角(現在地)に移されました。この霊神碑を囲む四基の石灯籠のうち、碑の前方に建てられた2つの石灯籠の向かって右側は薩摩藩士・黒田了介(後の清隆)が明治18年に、左側は長州藩士・品川弥二郎が明治21年に寄進・建立しました。黒田と品川は元々奥羽鎮撫総督府の参謀に就任しましたが、その後その任を辞退し、代わって世良が参謀として東北に赴任することになったとの因縁があります。後方の2つの石灯籠は、右が橘正風、左が橘正郎が建立したと伝えられています。この2人は世良が殺害された後、同じく仙台藩士によって斬られた長州藩士・野村十郎の兄弟にあたり、世良と同じ奇兵隊の出身者です。
また、霊神碑うしろの歌碑は橘正風(山城屋和助)が建立したものと伝えられ、弟を亡くした兄の気持ちが偲ばれます。
「しのぶれば その五月雨の夕まぐれ なみだの川のなみならぬかな」
現在に至るまで春秋の彼岸には福島稲荷神社の神職により慰霊祭が厳粛に執り行われているほか、折々に花を手向ける人は絶えず、世良の出身地山口県から訪れる人々は、東北の恨みを一身に受けて敵地で没した世良に対し、地元の人々によって今に至るまで手厚く慰霊が続けられていることを知り、一様に感銘を覚えるといいます。
世良の墓は、この地の他に宮城県白石市陣場山と、山口県周防大島町椋野に招魂碑があるほか、御霊は当地信夫山の福島縣護國神社に戊辰の役戦没者768柱の一柱として霊璽簿筆頭で祀られています。
昭和38年12月13日に福島市教育委員会より福島市指定天然記念物に指定されました。
ニレはケヤキと並んで材質がすぐれ、昔から神社、仏閣の建築や仏像の彫刻等にも使用された重要なもので、かつては当地方にもケヤキと共にニレの大木も数多く生育していたと思われるますが、現在はほとんどその大木をみることができません。本樹は、福島稲荷神社の神域にあってよく保護されたために自然状態が保たれて、枝張りおよび樹高は東北地方まれにみるものとなり得たものです。
太さは根回り4メートル、目通り2,75㍍、樹高21㍍で、樹勢もよく、とくに自然木としての樹姿も十分に整っているので、学術研究の資料および福島市の自然を記念するにふさわしいものとして、天然記念物に指定されました。
忍山句碑 「野の梅の 先には道も なかりけり」
斎藤忍山こと斎藤利助は、上町の豪商の家に生まれ、幕末から明治にかけての福島俳壇の指導者でした。その子の自省や孫たちも俳人として知られています。この句碑は、忍山が明治28年12月に83歳で亡くなった後、門人達が敬慕の意を表したもので、自省が建立しました。忍山はまた、きわめて信仰深く、神道の学も修め、当時、教導職の大講義に補せられましたので、境内に建立されたものです。
このペン塚は、福島ペンクラブ五月会が創立10周年を迎えた昭和63年5月21日に、福島県の民間新聞発祥の地である、福島市の福島稲荷神社境内に建立しました。福島県における民間新聞第1号は、明治7年2月に開明社を興した県社稲荷神社社司の丹治経雄が創刊した「福島新聞」でありました。その故をもって神社境内に建立されましたが、ちなみに丹治経雄は丹治家27代で、今の丹治宮司の曾祖父にあたります。
建立に至る経緯について、「筆塚」は全国や県内各地に建てられていますが「ペン塚」というものは何処にもありませんでした。そこでペン塚を建てて新聞人の象徴であるペンに感謝し、ペンの発展を願おうと、初代の渡辺会長が提唱されたもので、当時、仙台市内から発行されていた業界紙「日本新聞公論」によれば、新聞記者のOBが集まりペンクラブを結成したことは全国で初めてと報道しており、続いて機関誌の「福島新聞人OB文集」の発行、ペン塚の建立についても全国の嚆矢であろうと伝えています。
ここに碑文をご紹介し、あらためて本県マスコミOBの気概と功績に思いを馳せたいと思います。
「福島県にゆかりある新聞人等を会員とする福島ペンクラブ五月会は、創立十周年を記念し、県内有志の協賛を得て、本県新聞の発祥の地・福島稲荷神社境内に供養の心をこめてペン塚を建立する。
ここに、言論の自由を闘い抜いた先人の偉業を偲び、あわせてわれらの生涯の糧を生んだペンに感謝し、文化の発展を祈念してやまず、希くば後世の道標たらんことを。
昭和六十三年五月二十一日 福島ペンクラブ五月会」
平成28年は御鎮座1030年を迎え、また大震災より5年の節目にあたることから、福島の将来を担う子どもたちの健やかな成長を祈り、現代版「丈比べ」ともいうべき「あすなろの木」を建立しました。仕様は、地上高238㎝、幅190㎝、正面には山上憶良が「子どもは宝」と詠んだ和歌「しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも」と、伸び行く木を刻み、3人が同時に背くらべをして神社をバックに記念撮影が出来るようになっております。七五三を始め、秋祭りや初詣など、四季折々に神社にお参りしてお子さんの成長を記録する新たな名所となっております。
当神社では毎日、各種ご祈祷を奉仕いたしております。
通常のご祈祷は予約が必要です。
お電話でご希望日の祈祷時刻をお確かめの上、ご予約下さい。
電話:024-522-2702(受付:9:00~17:00)
※その他各種祈願承ります
厄祓い/方位除け/安産祈願/初宮詣/七五三詣/家内安全
交通安全/合格祈願/病気平癒/攘災招福/社運隆昌/商売繁昌 など
※その他、赤ちゃんの命名、神前結婚式など承ります。
神職がご自宅や会社に出張して神事を執り行います。
お電話にてお問合せの上、下記用紙に必要事項をご記入の上ご返信下さい。
電話:024-522-2702(受付:9:00~17:00)
地鎮祭/新宅祭/転宅祭/神棚清祓/開店清祓/開所清祓/工事安全/解体清祓/神葬祭(神道式の葬儀)など
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